クリエイティブとアートの狭間で

ビーズクリエイトの山本@マーケティングマネージャー兼ウェブディレクター(肩書が長い!)です。

ときどき、心理テストや占い、姓名判断などを遊び半分・真面目半分ですることがあるのですが、私の場合、なぜか決まり文句のようにこんな結果が出てきます。

「創造性を発揮するクリエイティブな能力に長けています」
「情熱家で、芸術家肌なところがあります」
「向いている職業:芸術・アート関係」

当初は、芸術家かぁ、なかなか素敵な結果が出たな〜!などと思っていたのですが、色々やってみると決まって同じような文面に出くわすので、今では半分ぐらい本当なのかも?と思うようになりました(笑)。

半生における芸術との関わり

思い当たるフシもあるのです。
小学生〜中学生の頃、友人や兄弟と競って漫画を描いていた。図工・美術の成績が比較的良く、各種の絵画コンクールに作品が出張していったり、出版社系の通信教育に勧誘されまくったり(謎)していました。

高校では文芸班(私の出身校では部活のことを「班活」と称します)に所属し、詩や小説、コラム、エッセイなどをつたない文章で組み上げていく活動に没頭しました。有り難いことに自治体の文学コンクールで優秀賞を受賞したこともあります。

文芸班の仲間たちとは大人になってから再会し、週刊の文芸系メールマガジンを5年間執筆、記念誌の制作などにも携わりました。自己満だけど、楽しかったな。

大学では何を思ったのかバンドサークル(半分は飲酒サークル?)に所属。エレキギターを振り回しながら「音楽」というとらえどころのない作品を仲間とともに生み出して、ライブハウスなどで演奏していました。

音楽への傾倒はその後も続き、1,000枚に迫るCDを聴き漁り、30才を過ぎてからアコースティックギターで路上弾き語りの活動などもしていました。

ゼロからイチを生み出す

新しいビジネスなどを創出することを「ゼロからイチを生み出す」「ゼロイチ」などと表現することがありますが、私の場合、恐らくゼロ(なにもない状態)からイチ(新しい価値)を創り出すことが楽しくてしょうがなかったのだろうと思います。(それを通じて誰かに認められたいという承認欲求も混じっていたと思います)

私にとっての新しい「イチ」は、絵画や漫画であったり、文章であったり、音楽であったり、それに関わることで静かに胸の奥に燃える熱狂であったり。自分の内面から何か面白いものを生み出したいという欲求と、それが達成された時の喜びは何にも代えがたいものでした。

消費者調査・市場調査の仕事をしていた時も、何より時間を忘れて没頭していたのは、企画書や報告書・提案書の作成や、データ分析の結果から導かれる新たな傾向の把握、消費者インサイトの採掘といった、どちらかというとクリエイティブとも言える工程でした。

そして現在、ビーズクリエイトの一員としてウェブ制作のディレクション、運用改善コンサルティングに携わる中でも、ゼロをイチにするための小さな作業の積み重ねを続けています。泥臭い工程も多いウェブ制作の世界ですが、泥の中から金塊を見つけたり、泥を加工して製品を生み出す過程の面白さは、モチベーションの源泉とも言えるものだったりします。

クリエイティブとアートの違い

一般的に、創造活動「クリエイティブ」と芸術活動「アート」は近しい概念として認識されているものと思います。ビジネス業界では「クリエイティブ」がよく使われており、「アート」はどちらかと言うと、お金を生まないもの、といった暗黙のニュアンスがあるようです。

クリエイティブとアートの違いは「最適解があるかないか」ではないかと私は思います。最適なクリエイティブはあっても、最適なアートはないのだと。

成果を生むのに最適なクリエイティブ、目的を達成するクリエイティブというのは存在します。アートの世界にも課題や目的、成果というのは一応存在しますが、それに対して何が適していて、何が適していないか、という基準(ものさし)がありません。アートは哲学であり、観念であり、人間そのものの営みであり、多様であることが大前提にあるからではないかと考えられます。

アートを語る上では、正解や間違いが存在しない。この前提条件は、芸術活動に関わる上での基本的な心構えなのだろうと思います。良し悪しはともかく、動物の中で人間にのみ与えられた「アート能力」というのは、きっとそういうこと。正確性や完成度などといった合理的な判断基準に依存することのない、限りなく主観的な「何か」によって、心を揺さぶられたり共感したり美学を感じたりするのですね。

クリエイターよりも、アーティストでありたい

多様性を容認する社会、ダイバーシティ構想などがしきりに囁かれるようになりました。金子みすゞの詩ではないけれど、みんな違ってみんないいという価値観が、特に若い世代を中心に広がっているのは、きっと希望の兆候だろうと個人的には思っています。

多様性を前提にした社会は、少数派や弱者に優しい社会だと思います。
それはアートを容認する社会と言い換えても良いのかもしれません。

正解や最適解を希求するクリエイティブワークを生業としながらも、一個人としては「アートワーク」を通じて周囲の人々と見えない「対話」をしていきたいと、私は考えています。

クリエイターよりも、アーティストでありたい。
「正解」を探してアレも違う、コレも違う、と繰り返してたった一つの最適解を求めるのもいいけれど、正解のない何かを生み出してそれが後世まで語り継がれるのって素敵じゃないかなあ。ビジネスには繋がりにくいのでしょうけれどね。

そんな自分を少し「誇り」に思いながら、生きた「証」を残せるのなら。
これほど喜ばしいことって、ないよねって。

s.yamamoto

この記事を書いた人: s.yamamoto

駆け出しのWEBディレクターです。
令和入社ですが、バリバリの昭和世代(ロスジェネ)です。
生まれ育った東信地域の経済・産業に貢献できるよう日々精進しています。

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