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B'scre8

自己紹介

初めまして、2021年3月に入社した諏訪 秀聖と申します。
初めての投稿なので、自己紹介をさせていただきます。

自己紹介

出身は長野県で、中学時代から高校時代にかけて陸上種目の走り高跳びをやっていました。
中学時代に陸上を始めたきっかけは、陸上部に入部する友人が多かったから。。。
そんな軽い気持ちで入部しました。
陸上部に入部すると、最初に自分が専門とする種目を決めるんですが、やりたい種目があって陸上部に入ったわけじゃないので、ただただ路頭に迷ってました。

そして長野県の中信部と南信部を合わせた大会を目前に、顧問から
「背が高いから、走り高跳びをやってみたらどうだ」と言われ、まともな練習もないまま大会出場。
そして結果が、中学1年の部でまさかの優勝。
自分でも理解ができない結果でしたが、ここから走り高跳び人生がスタートしました。

人生を変える人との出会い

しかし、なんの目標もなく入った陸上という世界は全くおもしろくなく、ただただ平凡な部活生活が過ぎていく毎日。
走り高跳び自体もおもしろさは感じられず、なんとなく過ごしていたある日、陸上部の顧問が変わり、走り高跳びに対する意識が一変しました。
その顧問の先生は学生時代に走り高跳びでインターハイに出場していた人で、走り高跳びの際に着地する大きなマットなどの練習設備がない時代に、体育館でジャンプだけのイメージ練習のみで190cm以上という高さを跳ぶスーパー選手でした。その人から教わる走り高跳びは、理論・考え方・戦略、全てが刺激的なものでした。

この時、出会う人・環境によって人生の価値観や考え方がこんなにも大きく変わるのだと痛感しました。
走り高跳びにやりがいを感じさせてくれた恩師(顧問)に、結果で答えると決め、ひたすら練習に打ち込む毎日。
しかし、中学時代最後の大会直前で疲労により足の怪我をして、中学時代は終わりました。

挫折

この思いを引き継ぎ、インターハイ選手を数多く出している強豪高校に入学し走り高跳びを続けましたが、怪我は治らず、フィールドに立って勝負をして結果をつけることすらできないまま走り高跳び人生は終わりました。
甲子園に出て涙を流して負けている同級生が、羨ましくてたまらなかったのを覚えています。

ビーズクリエイトとの出会い

学生時代という限定された期間での目標は潰えましたが、これからは死ぬまでの人生というフィールド。
自分の目標を探すために一度は東京の大学に入学したものの、大学を休学し、インターンやベンチャー企業で仕事をしたりする生活をしていましたが、その後大学は中退し、長野県に戻ってきました。

そこからは「元々興味のあったITという分野で仕事をしたい」という想いから、プログラミングを勉強し、簡単なアプリケーションなどを作ったりしていました。
しかしそんなことをしているうちに、ふとこう思いました。
「仮にものすごいアプリケーションを作れたとしても、どうすればそれを使ってもらえるんだ?」と。
いいアプリケーションを作れたとしても、それが世の中に広められなければただのガラクタで終わってしまう。
そんなことを考えながら、Webサービスを展開している企業を調べているうちにビーズクリエイトを知りました。
最初は、「よくあるWeb制作関係の会社かな。」と思いましたが、調べてみると運営母体は『農機具の会社』。
そんな会社がWebマーケティングを事業としていると知り、今の自分に足りないものはこれだと思い、会社説明会に参加した後、面接を受けました。
Web関係での実務経験もなく、専門的な知識も浅はかだった自分が実際に現場に立てるものなのか?と不安は大きかったですが、
人事担当の方から「未経験で活躍しているスタッフも多くいる」との言葉を聞き、それが自信にもなってエントリーに至りました。

入社

入社してからは毎日が新鮮なことばかりで、1日があっという間に過ぎています。
日々の業務は決して楽な仕事ではないので自身で学んでいく姿勢が重要になってきますが、
自由な部分と厳格な部分のメリハリがしっかりしているので、自分のスタイルにあった働き方が見つけやすいと感じています。

ビーズクリエイトとの出会いで今までのサービスの考え方や捉え方が大きく変わり、今の自分のモチベーションにつながってます。
それも経営理念である、『誇り』と『証』という考え方が残した結果なのだと思っています。
これからは私自身も、世の中に影響を与える『証』を残せるよう精進して行きたいと思います。